評論:白川眞「疫病時代のバーチャルリアリティと性の想像力」

疫病とバーチャルリアリティ

歴史には、驚くほど短期間のうちに人の考え方や価値観をすっかり変えてしまうような大きなイベントがある。コロナウイルスの流行も間違いなく人々の価値観を置き換えていくはずだ。
なにしろ、たった数か月で、人と人が触れあうことの意味が大きく変わってしまったのだ。

接触には、常にリスクが付きまとうようになってしまった。
状況は刻々と変わり、先の予想はほとんど不可能なようにも思われるが、これを書いている時点では、終息と言える状況になるまで三年ほどはかかるというのが大方の見立てのようだ。

世界的な封じ込めに失敗した以上、人類に許されるのは、基本的にはワクチンが人々に行き渡るまでの時間稼ぎだけだ。そしてそのワクチンにしたって、いつ行き渡る のか、どれほど効果があるのか全くわからないのだ。楽観的な予測は立てにくい。

となると、人と人との接触は、かなり長い期間、危険なものになる。危険なものというイメージが残り続ける。我々に一瞬のうちにインストールされた「他者は不潔であぶないもの」という価値観が、この先もずっと付きまとうことになる。

三年もの間、あるいはもっと長い期間、人は他人と会うことを我慢できるのだろうかと思う。人と人との接触の欲望は、そんなに長い抑圧に耐えられるのだろうか。人が触れ合うことに、これからどんな文脈がつきまとうようになるのだろうか。

ここまで考えると、VRを日常的に体験している身としては、バーチャルリアリティがこの価値観のシフトにどういう貢献をしているのか考えたくなる。

バーチャルな交流は慰めになりうる。現に多くの人がオンラインで友人と飲み会を開くようになった。だが、テキストベースのSNSやビデオチャットの関わりだけで親密な関係を築くのは難しい。

しかし、他者と「寄り添っている」ような感覚を得ることのできるVRではどうだろうか。オンラインでしか他者と接し関わることができないとしたら、バーチャルリアリティには一握の希望がある。この疫病時代に、VR空間が、ユートピアのイメージをまとった空間として機能する可能性は十分に考えられるだろう。ソーシャル・ディスタンスによって他者との接続を断たれたことで、VR空間に繋がりを求めるようになる。こうした人が増えていくことは、想像に難くない。では、そのバーチャルリアリティにはどこまでが可能で、何が不可能なのだろうか。そして、我々はVRの世界にこれから何を感じるようになっていくのか――。

現在のVRSNSには「お砂糖」と呼ばれる関係がある。「お砂糖」とはVR空間上での甘いカップル関係の婉曲的な表現だ。例えば「〇〇さんとお砂糖関係になった」というように使われる。

驚くべきことに、この「お砂糖」関係は、多くの場合美少女のアバターを着たヘテロセクシャル男性同士の関係だ。さらに、場合によってはVR空間上で疑似的なセックスを行うこともあるという。個人的には、はじめて聞いたときはなかなか受け容れることができなかった。今でもまだ、自分の中の既存の価値観に翻訳しようとしている途中だ。しかし、新しい価値観に馴染めない人間を置き去りにして、こうしたVRで完結する交際が、新しい形の恋愛として定着していくかもしれない。

サイエンス・フィクションの想像力

ここで、VRについて扱った最近のSF小説を二編紹介してみたい。

二つとも屋外が危険になったせいで、人々がVRの中に閉じこもることになってしまった世界を描いている。

まずは、非常にタイムリーな短編、ブレンダ・ペイナドの”The Touches”(初出:Tor.com, 2019)から。

“The Touches”は、死に至る疫病が蔓延したことで、人々が生まれてから死ぬまでずっと一人用の個室に住むことになっていて、他人との関わりはすべてVR空間で行う世界という設定だ。VR空間は〈クリーン〉と呼ばれ、現実世界は〈ダーティ〉と呼ばれている。疫病にはあらゆる薬物の耐性があり、隔離以外に対処法がない。そのため、この世界の人間は生まれてから死ぬまで、基底現実ではずっと一人ぼっちだ。

ためしに冒頭部分を翻訳してみよう。

触れあい The Touches

 私は基底現実の生活で、四回だけ触れられたことがある。一番最初は、母が私を産んだとき。そのときに母のバクテリアをもらったはずだ。良い細菌も、悪い細菌も。それから父が私をつかんだ。皮膚の上に住むあらゆる生きものたちに覆われてる手が私に接触し、バクテリア、酵母菌、出芽したウイルス、それに爪の下から這い出したあらゆるものが、私の生まれたばかりの表皮に広がった。これが二回目のタッチ。
 私はきっとベトベトな状態で泣いていただろう。それから二人はほんのひと時の間だけ私を抱いてくれたけれど、すぐに担当のロボットがへその緒を切り、カゴの中に入れて、私が残りの人生を過ごすことになる小部屋へと運んでいった。そこでロボットが私を、バーチャルリアリティの思考・身体適応・刺激のための「ゆりかご装置」に繋いだ。それからナン(これは私がこのロボットにあとでつけた名前)は、「お世話モード」をオンにして、私の精神を〈クリーン〉へと送った。私に引っついてきた汚いものたち――母が私をくるんでくれていた毛布、顔についていた胎盤を拭いたタオル、鼻と口の中のベトベ トを取るための吸引ボール、それからカゴなんか――は焼却処分された。それは「第一次感染症法」が施行されたすぐ後のことで、この頃はまだ自然分娩や、結婚して一緒に住むことが認められていたというわけ。
 覚えていられたらよかったのに、と思う。両親が語ってくれた、私を基底現実で見て、そのにおいをかいだ瞬間のことを。二人とも、〈クリーン〉で抱くのとは違うんだと言っていた。両親は私を毛布でくるんで、歌を歌ってくれたし、ときには母が実際に私を抱きしめるのがどんな感じなのか教えてくれた。その後で、私のアバターを意識が入っていない状態で仮想現実の寝室に残して〈クリーン〉から抜け出すと、頭上ではナンが液晶ディスプレイの顔で微笑んでいて、私に繋がれたケーブルを外しながら、白いプラスチックの腕で抱きしめてくれていた。
……

このあと、主人公はパートナーになるテロと出会い、子どもをつくることを決意する。

しかし、普通のセックスは行えず、自然分娩も禁じられているため、出産のプロセスはすべて人工授精と人工子宮によって行われる。〈クリーン〉上のアバターは象徴的に妊娠するが、現実の身体に変化はない。

肉体的な経験と、バーチャル世界での経験は分離していき、違和感が増大していく。

そんななか、システムにバグが混じるようになり、現実世界のリアリティが襲ってくる……という話。

もしかしたら、これから現実と、バーチャル世界での交流のギャップを描く作品は増えるかもしれない。かなり多くの人がZOOMで飲み会をしたりしているようだし。

もう一つ紹介したいのが、アレクサンダー・ワインスタインの”Migration”(初出:Children of the New World, Prism International, 2012 )だ。何が原因なのかは明記されないが、この作品の世界も家の外の世界が危険に満ちたものになってしまい、主人公とその妻、息子の三人家族は何年も外に出ていない。仕事はすべてバーチャルで行われ、大学教授の主人公はVR空間で生徒たちを教えている。

この”Migration”は”The Touches”よりもっと直截的に、VR世界でのセックスの在り方について描いている。

この作品は”Children of the New World”という短編集に収録されているが、これも未訳なので冒頭を少し訳してみよう。

マイグレイション Migration

 ニーハイ・ブーツに、太ももをさらけ出すショートスカート。彼女はまだ何人か残っているノロマな生徒たちが出ていくのを待って、それからドアを閉め、教室を突っきって、ぼくのデスクのところまでやって来た。なんだか今日の瞳は、いつもと違う。最初は紫のアイライナーのせいかと勘違いしたけれど、彼女の茶色の虹彩に緑色 の小さな点が重なっているせいだと気がついた。鼻は小さいけれど、唇が大きく、深い紅色で、引き締まっている。「やあ、センセ」机の縁に寄りかかって言う。「またあたしのこと見てたでしょ。違う?」
 「ばれたか」とぼく。
 「期待してるの?」
 ドアにはめ込まれた小さな窓ガラス越しに、生徒たちが教室を後にするのが見える。
 「ここでかい?」と聞いてみる。
彼女は唇をぼくの耳元にあてて、ささやく。「うん、パ パ。今すぐ。欲しいんでしょ?」彼女は褐色の腕をぼく の前に差し出し、手のひらのヴァギナを見せてきた。「あともう二つつけてきたんだ、パパ」唇がぼくの耳たぶのすぐそばにくる。ぼくの耳たぶには、イヤリングに似せたミニサイズのペニスを用意してある。「残りがどこについてるか、探してみるでしょ、パパ」と彼女。「パパ?」
 「パパ!」
 ぼくはゴーグルを外した。マックスがドアのところにいる。顔にはずっと外さないでいる白のホッケーマスク。 「パパ、ずっと呼んでたんだけど。たぶん、五分くらい」デスクの下では、黒のラバースーツが隆起していて、半勃起の状態であることを示していた。ぼくはヘッドセットを外してパソコンの隣に置き、デスクの下に下半身を隠しつつ、ぎこちなく振り向いた。「講義の邪魔だぞ」
 「パパの授業は十分前に終わったはずだよ」  
……

大筋としては、アメリカ小説らしく父と子の交流の話だ。 将来の世界への不安のなか、外の世界に憧れる息子との交流。息子は、自分と妻のような形でパートナーと出会い、子どもを産み育てることはできないのだろう、という諦念と、子どもへの愛が情感を持って描かれている。とはいえ、この小説のセックスシーンはかなりインパク トがある。訳した冒頭部分にも出てくるが、この作品世界では、アバターの身体のいろいろな部分に性器をつけてセックスをするのが当たり前になっている。もちろん、男性が女性器をつけることもできるし、女性が男性器をつけることもできる。そして触覚スーツを通して、その快楽を味わうことができる。

最も衝撃的だったのは、主人公と妻が隣で寝ながら、VR世界でお互い別のパートナーとセックスをするシーンだ。現実では夫婦がそばにいるのに、VR世界では奇形のアバターになってアブノーマルなセックスをする、ものすごくグロテスクなシーン。

でも、現実世界で恋人をつくりながらVR空間で別のパートナーを持つこともあるという「お砂糖」の世界の先には、”Migration”のような繋がり方があってもおかしくない。ある意味ではユートピア的な世界だ。VR上の、何でもありで放縦な性生活は、自由で素晴らしいものになりうるのかもしれない。

コロナ時代の愛

好むと好まざるとにかかわらず、価値観はどんどんシフトしていく。

僕が今かなりの違和感をもって、なんとか自分の価値観に翻訳しようとしているVRでの「お砂糖」も、すぐに普通のものになるかもしれない。僕より少し下のいわゆるZ世代たちはこうした価値観を当たり前のもの、素晴らしいものとして受け止めるようになっていくのかもしれないと思う。

変化の兆しはあちこちにある。例えば、「お砂糖関係」をテーマにした私小説「俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話」[1]俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話 https://kakuyomu.jp/works/1177354054891670209がWeb小説サイト「カクヨム」 で人気を博したり、美少女アバターを着た中年男性同士の恋愛を描いたWebマンガ「VRおじさんの初恋」[2]

VRおじさんの初恋 https://note.com/violencetomoko/m/m8f49f91365f1
が、SF編集者の紹介によってツイッターでバズったりしているのだ。

価値観は信じられない早さで、気づかないうちに変わっていくこともある。

大規模にそれが起きればパラダイム・シフトになるが、新しいパラダイムに適応できない人は、無情にも時代に取り残されていく。

VR空間は、思ったこと、想像したことが現実になるという意味において観念論的な空間だ。人間の想像力が空間の形を変え、人との繋がり方を変えていく。想像力が空間に影響を与え、その空間が再帰的に人の想像力に影響を与える。新しい世代の価値観が空間にも影響を与え、さらに新しい価値観を生む。そうして、VR空間での繋がり方というフロンティアは急速に開拓されていくだろう。その先にあるのは一体どんな世界なのだろうか。

訳注

訳注
1 俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話 https://kakuyomu.jp/works/1177354054891670209
2

VRおじさんの初恋 https://note.com/violencetomoko/m/m8f49f91365f1

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