エンタングルメント
Entangled
ベストン・バーネット 作
川端冷泉 訳
遠く離れた銀河に存在する数多の文明が互いに交流している遠未来。惑星レンに生まれ、地球でヒトとして育てられた「僕」は、
自らのアイデンティティを求めてヒトとの逢瀬を繰り返す。硬派なSF世界を舞台にした、幾重にも「もつれあった」物語。
初出
Clarkesworld Issue 155, August 2019
著者紹介
ベストン・バーネット
カリフォルニア州サンディエゴ在住。IBMでの四年間の勤務ののち退職し、現在では日中は家具職人として、夜間はジャズ奏者として活動。Beston Barnett DesignおよびART HURTS Recordsを運営する傍ら、Metaphorosisなどに短編を寄稿している。 クラリオン・ワークショップの卒業生。
作者ページ
https://bestonbarnett.wordpress.com/
本翻訳は作者の許可を得て掲載しています。
1
〈空〉
僕は地球に一人ぼっち。
他の多くの気持ちも同じだけど、この寂しさが地球での社会化の結果なのか、それとも本当に生まれ持ったものなのか僕にはわからない。でも、僕は確かに伴侶に恋い焦がれている。肉体関係は求めていないし、興味があるように振る舞うことも出来ない。Xスーツに敏感な部位を取り付けることも出来たけど、それはパートナーに不誠実だと思わない? セックスは親密さが高まったってことを共有する行為だ。勘違いはさせたくはない。それより、僕はパートナーにはあらゆる面で正直でいたい。それで、この感情は――深くて正直な関係を求めるこの気持ちは――地球での社会化の結果なのだろうか? それとも、僕が持って生まれたものなのだろうか? 繰り返すが、僕にはわからない。
幸運にも、不能や無関心といった理由から、パートナーに性的関係を求めない僕みたいな人のためのデートスポ ットはいくつかある。色々なジェンダーの人々を受け入れるところも。『ノンバイナリー』というのが正確な言い方だ。銀河連合への地球の統合過程からして、『トランスヒューマン』のラベルが追加されるのはまだまだ先だろう。
僕はこの情報を、『趣味/関心』に分類する。
2
〈空〉
アリークァとはだいたい六ヶ月関係を持ったのだけど、あるとき自分の夢について説明してくれたことがあった。「わたしたちは綺麗な草原の真っ只中に寝転んでるの。わたしたち二人、子供みたいに大の字になって。腕を目一杯伸ばして、指が触れそうになって。心地よいそよ風が、草原を波立たせて」
「そしたら、耳障りな音が聴こえたの。どすん、ばたんって音が。どすん、ばたん、どすん……どすん、ばたん、どすん……あなたの方を向いたら、あなたはⅩスーツじゃなくて、胴体がスチールのボイラーで目が真空管の、古いSFに出てくるみたいなロボットを着てたの。あなたは大っきくて錆び錆びで、草原に打ち上げられた潜水 艦みたいだったわ。どすん、ばたんって音はあなたの中から聞こえてくるのよ。わたし、あなたの横についてたはしごを登って、胸にあるハッチを開けたわ。そしたら、その外殻に覆われた闇の中で、コマドリが壁から壁へと飛び回ってたの」
僕とアリークァは上手くいかなかった――失ったと思っていた人肌恋しさを僕が取り戻させてくれたと彼女は言った――でも、僕はこの自己像に関して彼女に感謝しているんだ。
3
〈空〉
銀河連合への統合は以下の段階を経る。
1:接触
2:言語の共有
3:情報の共有
4:観光/探索
5:市民権の獲得
僕は第五段階の最前線そのものだ。惑星地球の市民として帰化した、はじめてのエイリアン。地球の各国政府は、僕を受け入れるために全く新しい法制度を組み上げる必要があった。まあ、千を超える先駆者の手助けはあったのだが。IGCの監視の下で、僕は生まれた惑星、育った惑星の両方にとっての栄誉となった。結びつきの強固さと、全幅の信頼の象徴に。
僕が自分の帰化セレモニーで述べたスピーチは両種の外交官が用意したもので、こういった陳腐な言葉で大半を埋め尽くされていたけれども、僕は自分自身の思いも少し織り交ぜることにした。
「ヒトとレンは多くの特徴を共有していますが、中でも私が個人的に特に興味を抱いている事があります。それは、私たち両方の種族に通底する、帰属感の渇望という心理です。私は、ここ地球の社会に、ヒトとレンの両方としての帰属を得られることを望んでいます」
僕のこの言葉は多くの世界に配信された。二歳の時のことだ(もちろん、レンの精神はヒトのように成長するのではなく、完全に機能する状態で生まれるのだが)。三〇年たった今では、僕は少し楽観的でなくなっている。属する場所や一緒にいる相手を見つけるのは完全に運に左右される。孤独な日々と毎日のように改めて向き合わなければならない。希望は希望を燃料とするのだ。
それに、この感情そのものもまた社会化の産物なのかもしれない。だって、ヒトの中にはこの類の孤独な詩好き、愛を求めるオールドミス、異郷の地で受け入れられたいと願う異邦人がもう既にいるんじゃないだろうか?
4
〈空〉
あるとき、僕はとある俳優とデートした。才能のピークは過ぎていたが、それでも気鋭の演者兼監督で、ハンサムで創造的で、性的娯楽に飽き飽きしていた。僕たちは二人ともこの関係を公にはしなかった――この点には感謝している――それに、独占的な関係ってわけでもなかったし。
彼は、遠い銀河に住む白鳥の首を撫でていると想像しながら僕に触れるのが好きだった。「僕の孤独な白鳥」僕のことを彼はそう呼んだ。あの頃は三台目のⅩスーツを着ていて、僕は首から肩にかけての長いシルクの帯に、感覚器(触られると幸福感を得るが、性的なものではない)を備えていた。このロマンチックな可能性が彼を魅 了したんだ。僕自身はといえば、彼の創造力の荒々しさに、役割を完璧に演じる能力に、溺れていた。長年にわたって僕は、これが僕自身のゴールでもあると考えていた。ヒトである、という役割に全面的に身を投じることが。
でも、彼がこの関係を終わらせようと言い出したときにはもう、僕は彼の熱量に打ちのめされてしまっていた。 ヒトは周囲との関係性がぐちゃぐちゃに荒れ狂っている ことを期待し、そこに押し引きがなければ不自然だと感じてしまうんだ。
僕の中のレンはもっと繊細な関係を求めていた。
5
〈地〉
僕たちレンと白鳥はどちらも、少なくともヒトの可視光域では白く見えるし空も飛ぶけれど、表現型上の類似はほとんどない。ヒトはこの手のアナロジーを本能的に行う。スリコフクはロブスター、ウルミアンは巨大なアメーバ、レンは白鳥。ヒトの眼には羽に見えるものは、生物学的にはきつくよりあわされたシルクの巻きひげと言 うほうが正しい。
IGCがこれまで遭遇してきた大半の知性種と同様、レンは意識を体の外側に備えている。地球の生物は珍しいことに、こんなにも繊細な量子的現象を脳という危険な電気回路に載せており、そのためにヒトはⅩスーツを用いて他の世界を探索することに大きな困難を覚えるようだった。レンにとっては、意識とはシルクの翼の後縁に 凝縮するものだ。
レンは、〈遭遇〉以前の歴史の大半において、飛行中に思考翼を通る風が自我を解きほぐして純化すると考えていた。この考えは詩的表現にすぎないと後に科学的に証明されたが、飛行状態と接地状態の二分法は、レンの言語に深く根付いた。あらゆる言葉は空と地の二つの成分を持ち、その両者の不調和が、身振り手振りや絵文字のように、言葉に新たな階層を付け加える。
〈地〉ロボットの体は空っぽだ。
〈空〉コマドリがロボットの体の中を飛び回っている。
僕がレン語の授業で時々使っているこの例には、面白い不調和が見られる。ロボットはからっぽでありながら、同時にコマドリを中に納めている。空であることは接地状態であって継続性を示す一方で、コマドリは飛行状態であって非永続性を示しているのだ。これはレンにとっては単一の思考であり、あらゆる思考がこの二重性を有している。たとえそれが技術書の文章で、詩的な要素が一切なく全てが〈地〉で表記されていたとしても、〈空〉の部分が伴っていることが暗示される。これはざっとこう訳される。
〈空〉そうかもね。
もちろん、僕は他のレン語話者のヒトと同じく、これを第二言語として学んだのだが、僕の中のレンとしての性質ゆえだろうか、どうやら僕は他のヒトが欠くレン語との親和性を身に着けているようなのだった。これが事実かどうかはわからないが、レン研究所で教鞭を取った経験は僕のキャリアの中で大きな意味を持つことになった。僕は特別な観点を持っていると言われる。外部者と内部者の両方の視点を。
けれども、僕は飛んだことがなく、母星の希薄な大気が翼を撫でる感覚も知らず、群れに混じって縦横無尽に飛び回ったこともない。僕は思考翼を内側にしまい込んだまま、銀河をいくつも隔ててしまった。
6
〈地〉
超光速航法は全くもって現実的ではない。
ところがデータは、超光速どころか、瞬時に送ることができる。ここで行われているのは、生き別れの双子を見つけることに近い。
ビッグバンにほど近い瞬間に分かたれた、もつれあった二量子を特定する技術を手にした種族は、このもつれがそこら中に存在することに気づく。どれほど遠く離れていようと、一方をいじると他方でも同じことが起こる。
データとして送れないものはほとんど存在しない。画像、詩、設計図、3Dプリンタのソフトウェア。理論的には、身体を構成する全原子をスキャンして再構築することができる。理論的には、脳を構成する全ニューロンをスキャンして再構築することができる。ところが意識だけは、その予測不可能性と自由意志が本質的に量子現象であるがゆえに、スキャンも再構築もすることができないし、量子現象が不確定性原理に支配されているがゆえに、完全なマッピングを行うこともできない。すなわち、僕たちは銀河を超えてコミュニケーションし、技術を交換し、物品や我々の身体そのものを贈りあ うことができるのだが、実際に行き来してふれあうことはできないし、宇宙を征服することもできない。銀河を股にかけるには、我々は手を取り合うしかないのだ。
7
〈空〉
僕は他の子どもたちのように育児してもらう必要がなかったのだけれど、卵から孵った時にヒトの父親と母親をあてがわれた。こうすることで僕の社会化がより上手くいく、というのが両種族の総意だった。アン・ストルツフス=ヴェローゾ博士とヨアヒム・ストルツフス=ヴェローゾ博士は二人ともレン研究所の研究者で、二人にとって僕はただ一人の子供だった。
アンはもう退職しているが、所内にオフィスを構え続けていて、僕は週に一度、夕食の時間に顔をあわせることにしている。
ヨアヒムは昨年この世を去った。父の死は僕に思っていた以上の影響を与えた。答えのないさまざまな思考が頭の中をぐるぐる廻る。僕が外交に興味を示さず、ヒトの恋愛に「病的な執着」を見せたことが父を失望させたに違いないという確信が頭から離れない。理想と、宇宙への好奇心と、獲物を前にしたテリア犬のような不屈さを貫いて生きた父が、僕は本当に好きだった。「あの人もあなたを愛していました」最近越してきた介護付き老人ホームの部屋で母が言う。
「僕はあの人の期待に応えられなかった」
居心地が悪い部屋だ。ここにある物全てが馴染みのないものに思え、家族で撮った写真ですら、この小さな部屋では別物に見える。「どうしてあの人の失望が僕を追い回すんでしょう。レンにはこの手の親子の絆というものはありません」
「人は繋がり、嘆き悲しむもの。レンがどうであろうと、あなたが何か変わることはないでしょう? その感情がより現実味を帯びたり、逆になくなったりするの? あなたは父を失い、私は夫を失った……ふう、もういいでしょ。わたしもあの人が恋しいのよ」
8
〈地〉
僕にはレンの親もいる。二から四八までの大きさの親集団が、それぞれの遺伝物質の中から優れた要素を抽出して丁寧に配合した結果、一つの卵が生まれる。僕はそうやって、公徳心のある大きな群れによって、地球の市民になるべくして産み落とされた。この合理的な生殖法のおかげで、レンはIGCの他の保守的な種族に先んじて、新たな惑星の市民となる者を何度も送り出すことができている。
それでも、僕はレンの生殖方法が無機質だと感じるし、生物学的な親がこの気持ちを和らげてくれるとも思えない。
僕はヒトの父を恋しく思うのに、自分が彼を尊敬しているのかわからなかった。
9
〈地〉
Ⅹスーツとは、生体素材、機械部品、あるいはその両者から成る遠隔操作端末の総称である。運動制御と感覚情報のやり取りをリアルタイムで行うことができ、どの感覚を収集するかは操作する種族によって異なる。とはいっても、電磁波の探知と化学物質の分析(ヒトで言う、視覚と嗅覚)は全加盟種族に普遍的な感覚と言っても過言ではない。
ヒトのような後発の知生体が〈観光/探索〉の段階に入った時、最初にその交流先と共同制作されるⅩスーツは通常、小さな飛行ドローンになる。この作業は両惑星で同時に行われる。ヒトのためのドローンがウルムト星で作られ、ウルミアンのためのドローンが地球で作られる、という具合だ(ウルミアンを例に出したのはたまたまではなく、最初に地球上で稼働したⅩスーツが彼らの物だからだ)。
異星技術の吸収が進むにつれ、Ⅹスーツの品質と環境順応性は向上する。遠く離れた銀河の操縦者はよりⅩスーツに馴染めるようになるし、持って生まれた身体からの感覚情報を完全に切って、Ⅹスーツに完全に没入するという選択肢もある。最上級Ⅹスーツをまとえば、現実的に行き来することのできない場所にいる操縦者の心は、ラグなく別の惑星に存在する事ができる。
つまり、僕が悲哀や愛情や孤独を感じるとき、その感情は理論的には、計り知れない程遠くの惑星レンで生じたものだ。しかし、その感情を引き起こした感覚刺激が生じたのは、その感情を分かち合う人たちがいるのは、ここ地球だ。僕が父を悼む時、この悲哀は二重に存在するのだろうか? それとも、このとてつもない距離を引き 延ばされているのだろうか? まさにレン的な考え方だ。
〈地〉ひな鳥が、遠く離れた地で親鳥の死を悲しんでいる。
〈空〉悲哀はもつれあった状態にある。
10
〈空〉
僕はロマンスオンリー・ドットコムでクワセに出会う。彼はルアンダに住む年老いたⅩスーツエンジニアで、両足を地雷でなくしたアセクシャルだ。もっとも、事件のずっと前からこの性自認だったってプロフィールには書いてあるんだけど。クワセは大変な筆まめで、底知らずの健啖家で、熱狂的な旅行好きだ。それも、地球だけじゃなくていろんな惑星への。数ヵ月のあいだやり取りを続けたあと、僕はマレーシアでのフードツアーに一緒に行かないかと誘われる。「君と僕の中間地点で会おう」そんな文章を書く彼は、直線的な性格をしている。初めてのデートの時、目の前にはたいていコーヒーカップがあるものだけど、クワセが勧めてくるのは一週間分のラクサとココナッツライスとカニの塩卵炒めだ。
僕は最近、四台目のⅩスーツを新調した。ある世界で進化した種族の神経刺激を別の世界の感覚データに順応させるには、試行錯誤が必ず付きまとう。塩辛い、香ばしい、まろやか、酸っぱい ――レンの身体にとって、こういった性質はどういう意味を持つんだろう? だけど、僕の新しいⅩスーツは本当に進化していて、初めて地球の食べ物をきちんと味わう事ができている。
Ⅹスーツに食事が必要というわけではないけど、ヒトの食事も全部が全部必要ってわけでもないだろ? クアラルンプールは天啓そのものだ。マレー人、インド人、中国人、それに十数の種族のⅩスーツが、地球のこの地、銀河を越えた大混雑の中で、好奇心と野心と夢にまみれ、誰もが飢えている! 僕とクワセが打ち解けて、彼は運ばれる事を気にしていないし僕は彼を運ぶのが好きだと伝え合ってから、僕たちは楽しい一週間を過ごすことができたし、僕は気を紛らわすことができている。
「お前が本当にパートナーに望んでるものは何だ?」僕がトロントに戻ると、クワセからこんなメッセージが送られている。「お前との旅は楽しかったが、俺も永遠に生きれるわけじゃない。無駄にしたくないんだ。お前の時間も、俺自身の時間も。俺に会ってみて、どう思ったんだ?」
僕はなんて返せばいいかわからなかった。孤独感の奇妙な特性の一つに、何かが欠けているという感覚はあるのに、欠けているものが何なのか、どうしてそれが大切なのかを正確に言葉にする事はできないというものがある。死への恐怖は孤独への恐怖と表裏一体だ――父を失ってからずっと実感している――そして、孤独に死ぬことはその頂点に位置する。クワセは僕のことを若くて強いと思っているけど、それはⅩスーツを見てそう思っているにすぎない。僕は突然身体のコントロールを失うだろう。感覚は突然鈍るだろう。レンの寿命はヒトのそれよりも短い。僕らの歳だと、二人のどちらが先に逝ってもおかしくなかった。
一つ確かなことは、僕の孤独感はクワセに会ってから薄くなったということだ。でも、彼が直線的で正直なのと反対に、僕はどちらかといえば周りくどい性格なんだ。彼は僕のことを恥ずかしがり屋と呼ぶだろう。僕はそれにレン語で答える。
〈地〉僕がただ言えるのは、また会いたいってことだけだ。
〈空〉僕は翼を知った。
11
〈地〉
エイリアンは地球でますますありふれた存在になっているが、僕は未だに唯一の帰化市民だった。
他の種族は分類上は〈探索者〉や〈観光客〉でありながら、その分類の意味するところを越えて活動している。けれども、彼らはみなⅩスーツに入り、Ⅹスーツから出てゆく。本質的に、その身体は母星に存在しているのだ。IGCの定義における市民とは、Ⅹスーツの身体を持って、母なる世界を知らずに生まれる存在を言う。もっと早くに加盟した惑星には、宇宙のあらゆるところからの帰化市民の入植地があるものだ。
僕は惑星レンで孵化し、そのまま山のようなセンサー群の中に入れられて、地球のレン研究所で僕のために用意された最初のⅩスーツに接続された。初めて刷り込まれたものはヒトの父親と母親だった。初めて学んだ言語は英語だった。初めてⅩスーツが発電のために利用したのは地球の太陽だった。僕は自分の本当の身体がどこか別のところにあると教えられてきた。この僕は、ある意味で、僕ではないんだと。
三〇年経った今でも僕が地球における唯一の帰化市民であるのには理由がある。〈観光〉と〈探索〉は、何世代にもわたる協力と技術の進歩が必要で大変に物要りなのだが、感情的なハードルは低い。〈市民権の獲得〉は難しいばかりか危険ですらある。その市民は新たな世界を受け入れるのだろうか? 世界は市民を受け入れるのだろうか? 帰属意識を得ることはできるのか? 他にもさまざまなところで道は踏み外されうる。
僕はまるで炭鉱のカナリアだ。そして、表立っては言わないものの、僕が花開くのかそれとも立ち枯れてしまうのかを、多くの世界が見守っている。
12
〈空〉
「自分のことをアセクシャルだって言う女の子とデートに行ったのに、結局その自己認識が見当はずれだって気づかせて終わったことが二回あってね」
クワセがチャットを返してくれる。ハハ! それ、お前のⅩスーツが可愛すぎるからだって! 俺がいつも言ってるだろ……
「そんなことないよ」返信は、Ⅹスーツが思考をテキストに変換して送ってくれる。「人は見たいものを見るのさ。僕を可愛く見てくれてありがとう」
あはは、それで言うと、そのレディ達はアダルトグッズを見たのさ。
デートで初めて会ってからの数秒の間に、ヒトは多くのことを語りあう。表情の変化と立ち居振る舞いを、カルテに症状を書き連ねるようにして。ところが僕の場合、事はより困難になる。第一印象を形作るためにヒトが頼っている特定の神経回路が僕には欠けているんだ。クワセは僕がデートで破局する話を聞きたがった。初めのうち僕はからかわれているんだと思っていたし、今でもその確信は変わってないのだけれど、自身の不幸な体験を笑い飛ばすことはその印象を軽くしてくれるとも思い始めている。過去の苦い恋愛の重荷を緩めてくれているんだと。
「前にデートした男に、ただの友達として、宇宙人との遭遇もののSF映画を一緒に見てほしい、っていう人がいてね。その相手として僕が完璧だと思ったらしいけど」
それで映画が好きになったってわけだ!
「確かにそういう映画が好きになったけど、あの関係が充実してた、って言う気はないよ」
俺なら、ウィル・スミス以外が主演のSF映画に誘われたら断るね。
「笑」
僕はオフィスで椅子に座って、除雪機が研究所の駐車場の隅に積み上げた汚い雪を眺める。
「次の朝に届いたメッセージを確認するのが怖いんだ」続けざまにチャットを送る。「Ⅹスーツのせいだと思うんだよね、僕にならなんでも言ってもいいって考えてるの。ただの機械とでも思ってるのかな。僕はからっぽで、不気味で、異常で、白痴で狡猾で、甘えたで不愛想で、魂無しで……」
おお、愛しい君よ、つまりそいつらは君についてなんにもわかってなかったってことだ。
「一目見てわかるものしか見てないのかもね」
会話が途切れ、気を害したんじゃないかと不安になる。窓の外ではみぞれが降りはじめ、駐車場がかすんで見えた。僕はクワセに、お前は思い違いをしていると、あきらかな異質性を見ないようにしていると仄めかしてしまったんじゃないか? 本当にそうなのだろうか? 僕を愛してくれたヒトは、みんな自分を騙していたのだろうか?
不意に、クワセから返信がある。嫌なこと全部、レンのせいにするんじゃない。
13
〈地〉
地球が交換市民を用意できるようになるにはまだしばらくかかるだろう。
地球には帰化市民が既に存在する。僕だ。でも、IGCの正会員になるためには、地球は己の市民を、別の惑星上で、別の種族の手に委ねなければならない。想像してみてほしい。ヒトのカップルが、生まれたての子どもをそんな目的のために提供するさまを。哀れな赤ちゃんは水槽に入れられ、頭の先から足の先までセンサーに囲まれ、人工呼吸器と胃ゾンデと吸引器が身体の機能を代行する。ミルクも飲まず、父親も母親も無しに成長し、セクシャリティは歪み誤解され、子どもは、そんな時がもし来たとしても、人工的にしか作れない。
レンにとってこれは難しいことではないのだが、ヒトのカップルはこの選択を受け容れられるだろうか? 孤児をこのために提供するような施設が存在するだろうか? 僕にすら――半分レンで、空虚で不気味で異常で魂のないという評判の僕ですら、人類にこの覚悟ができるのが遠い未来だということはわかる。
14
〈空〉
「クワセはどうしてるの?」母が尋ねる。
「元気にしてるよ」
「でも……?」
僕たちは母が住む老人ホームのカフェテリアに座っている。僕は母のことが心配だった。数週間という短い間に母はどこか小さく、弱弱しくなってしまった。それでも、アン・ストルツフス=ヴェローゾ博士のむず痒くなるような特技は衰えていない――三十年という歳月と四台のⅩスーツを隔てても変わらない、僕の考えていることをあたかも顔に書かれているかのように読み解くという能力は。
「クワセと僕は……僕は、あとどれだけ二人で居られるのかわからないんだ。彼が望んでいそうな関係に、どうやってなればいいのかわからない。同じ町に住んですらいないのに」
「結婚したがってるってこと?」
母はその言葉を本当に何気なく口にする。
「いや……多分……クワセは、僕がクワセのためにいるって確かめたいだけなんだと思う。僕にそのつもりはあるんだけど、きっと僕がもっとはっきりした行動をとらないといけないんだろうね」
「なんでそうしないの? あなたは結婚したいの?」
「結婚? 僕にそんなことができるなんて考えもしなかった……わかると思うけど、僕は二つの世界からの視線をずっと感じてきた。それも、外面だけじゃなく内面にもね。ヒトとレン、地と空――僕が決心できないでいるのと似た状態だ。空気が地面の上を通るとき、二つは触れ合い、互いを形作り、それなのに一つの言葉を持つことはない。それにレンは結婚しないものだからね」
僕は人の表情を読むのが上手くないかもしれないけど、母が今何を考えているのかはわかる。納得できない、と。
15
〈空〉
連絡が途絶えてから二週間がたち、クワセから惑星レンに行かないかというメッセージが届く。
僕は困惑する。二人の関係に一息入れているところだと思っていたから。
他の世界になら、ちょっとした休みに何度か二人で行ったことはある。楽しい旅行だ。クワセはルアンダのデスクから、僕はトロントの研究所のオフィスから、VRゴーグルとジョイスティックだけで操縦できるシンプルで安価なドローンに乗って。これならセンサーの移植も必要ない。僕の信号が宇宙を飛び交う様を想像すると、不思議な気持ちになる。惑星レンから地球上のⅩスーツへ、地球からシルフカやフ/レ/オプスやク・エロ・マのドローンへ。それも瞬時に。僕の存在は普段よりもっと薄く引き延ばされる。
でも、惑星レンの観光なんて!
馬鹿にされているような、恥ずかしいような気持ちになる。僕はレン研究の専門家だし、地球や多くの世界でのバーチャル会議で、スクリーンやⅩスーツ越しに何千ものレンの聴衆に向けて講演したこともある。けどクワセは、僕が観光のためにそこへ行ったことも、彼と一緒に行ったことも無いだろと言う。
僕は何も言わない。
クワセも一歩も譲らなかった。
ロール郊外の空港から北へと飛び立ち、都市集合の周りを旋回する共同体に混ざるためにブルーマウンテンリングへと向かう。この旅はクワセが一から十まで計画してくれたし群れのホストには身元を明かさないと約束してくれたけれど、この群れに迎え入れられたとき、その作法から僕の正体がばれていることがわかった(地球のホームドラマ由来のモチーフだ――彼氏を両親に紹介するみたいなね――この場合は真逆で、僕が紹介される側なんだけど)。
レンの群れ行動については様々な文章が、その多くはレン自身の手によって書かれている。群れのパターンからは大まかな階層構造を読み取ることができるが、それは位置、凝集度、配置、応答時間、ドラフティング、それに僕には理解することなど望むべくもないその他無数の性質、それら全てから生じるきめ細かな趣意のほんの始まりにすぎない。旋回して群れに入ると、僕たち二人は観光客よりも親密な、いわば『名誉ある遠方の親類』とでも言うべき立場を意味する場所に混ぜ入れられる。共同体性の群れは僕を生み出した群れのようにしっかりとした繋がりのある群れではなく、いわばお散歩サークルのようなものだ。
僕は神経質になる一方でうきうきしてもいて、同時にクワセからの視線も感じている。眼下には薄紫の湖面に青い稜線が映り、急ぐ群れの影が二重に落ちて湖の生き物を驚かせている。遠方には最寄りの都市集合の腕がちらついている。このインターフェース越しでは風を本当に感じることはできないけど、それでも僕は周りを幻の風が流れるのを感じた。僕たちが乗っているドローンは原始的なやつだ。ずらりとならんだプロペラ、音声と映像のリレー、前面にのっぺりと投影された低画質な顔のホログラム。ヒトの目には、今の僕たちは白鳥の群れの真ん中を飛ぶ人面の虫のように見えるだろう。クワセの二次元の顔が僕の方に傾く。「お前、ここにいると生き生きして見えるぜ!」という張り上げた声。「ここに来るのが初めてなんて信じられねえ!」
それから、二人で魚市場の中をぶんぶん飛び回る。ここはレンの〈遭遇〉以前、何万年も前からほとんど変わっていない。騒音が幾分ましなことをのぞけば、ここはまるでクアラルンプールだ。活気に満ちた取引、あらゆる色と形の食べ物、老若のレン、それに千以上の世界からのⅩスーツがごちゃまぜになっている。一人になれる場所などありはしない。クワセと僕は飽くことなくスイスイと飛び回りながら、味覚センサーと嗅覚センサーのためにもう少し払っておけば良かったねと言い合う。
でも、クワセは僕が思っていたよりも早いうちに市場を離れようと言い出す。サプライズがあると彼は言うが、僕は突然恐怖でいっぱいになった。
孵卵場は横長の白い建物で、市場からほど近いところに位置している。ナースが屋上で僕たちを迎えてくれる。
中に入ると、飛び回れるほど広い廊下には小さな丸窓が一列に並び、奥の小部屋は暗室になっている。巨大なタービンのような、くぐもった重低音が聞こえる。僕はどうして今までここに来なかったのか、写真や報告書を頼むことすらしなかったのか、言葉にすることができなかった。まるで医者を嫌がるヒトの子どもみたいだ。これがもっと大切な事だということを除けば。でも、これもまたヒトらしい感情じゃないだろうか? 自分という存在の根源的な要素の中に、あまり近くからは見たくないと感じる部分があるというのは? 内なる謎の中には詳しく検分すべきでないものがあるという思いは? 端的に言って、何に対する恐怖ゆえなのだろう? 手に負えないほど劇的な変化に対する恐怖? 鏡の間で迷子になる事への恐怖?
ナースが言う。
〈地〉あなたはあなた自身を見に来たのです。
〈空〉あなたの自我は円環です。
ナースは廊下に並ぶ小窓の下に光る表示を追っていたかと思うと、廊下の中ほどで優雅に接地する。翼で何かの合図をすると、ある部屋の窓がゆっくりと明るくなる。僕たち二人が同じ町の同じデスクに居たらと思う。そうすればクワセの手を握れるのに。
窓に詰め寄る。小部屋の中には空気の流れと磁場の中に浮かぶ白鳥が見えた。眠りにつき、夢を見ている。ヒトの目がそう告げる。レンは眠らないのに。折りたたまれた翼には細かいセンサーが銀粉のようにまき散らされている。
僕は振り向く。このドローンの低画質なホログラムではクワセの顔を読むのは簡単ではないが、その笑顔には涙があふれているように見える。
「おまえはここにいる」クワセが言う。「あれがお前なんだ」