翻訳短編:マリ・ネス「キスの式典」

キスの式典
The Ceremony

マリ・ネス 作
空舟千帆 訳

女の子はだれでも一生に一度、列に並んで「彼」にキスをすること――なじみ深いおとぎ話に題材を借りつつ、忘れがたい印象と問いを残す小品。

初出
Fireside, September 2018

著者紹介
マリ・ネス

フロリダ在住の作家、批評家、詩人。Tor.com、Clarkesworld、Lightspeedをはじめとする多くのウェブジンに作品を寄稿。著者いわく「ジェンダーを逆転させたおとぎ話」である本作は、ローカス誌が選ぶ2018年の推薦リストに収録された。

作者ページ
https://marikness.wordpress.com/
Twitter: @mari_ness

本翻訳は作者の許可を得て掲載しています。


女の子たちはひとりずつ、列に並んでいます。キスをするために。

おめかしして来る人もいます。ええ、その通り。キスは確かに、少なくとも一世紀のあいだ役に立ってきませんでした。だからはっきり言えば、ドレスアップなんて必要ないんです。だけど、「誰が見ることになるかわからないじゃない?」って、着飾って来た子やその親だったら言うはずです。ここには数人の貴族たちがいつだって、劇場支配人がそうするみたく、見知った顔を探すためだけに来ているのです。公爵のホールで売り出し中のあの歌手だって、ついこのあいだまで列に並んでいて、ただ鼻歌を歌っていただけでした。あのときもしぼろ﹅﹅を着てい たら、彼女が見出されるチャンスはあったでしょうか? きっと無理だったのではないでしょうか。ほかの人たちにとってこの式はまた、年に一度着飾るためのただひとつの口実なのかもしれません。どうにかして次の宴に給仕側でなく、賓客として参加できるなら別ですが。

そういうことで悩まなかった人たちもいます。ある子たちは他に選択の余地がなくて――ほとんど衣装を持ってなくて、ごく簡素だったり傷んだ状態だったりで、手と顔を洗うことくらいはできて、実際そうしましたが、流行を追ったり社会的地位を誇示したりすることはほとんど望めませんでした。またほかの子たちは歌や劇場に興 味がないか、この群衆の中では誰かの目を惹く機会なんてまったくなくて、よそいきの服は他の、もっとわかりやすい場のためにとっておくほうがよいと信じていました。

そしてまた他のある人たちにとっては、この儀式はまるっきり時間の無駄でした。政治的陰謀にこだわる向きいわく、これは民衆を確実に支配しつづけるための、現体制がしかけた運動だそうで、もっと穏和な悪だくみがお好きな人たちによれば、地元に二つある服屋が儲けるための企みらしいのですが、なんにせよ陰謀論者の彼女たちにとっては、わざわざもったいぶって着飾る行事ではないわけです。たとえぼろ﹅﹅同然の代物だとしても、普段着を着て来ればじゅうぶんでしょう。陰謀論に懐疑的なその他おおぜいにとっても、とにかく参加はするとしたって、退屈な伝統以上のものではないのでした。

どっちにしたって、ただのキスだから。

だからもちろん、ここにいるべき少女たちの中には、見当たらない子が何人もいます。昔ならこれは問題になりましたが、今は――まあ、一部の人たちが現体制に従いたがらないことは、言い立てないほうがいいでしょう。

それに、来てる子が少ないほうがさっさと済む。一部始終を見届けるために張り込みに来ていて、ここのところ開催する側に回りつつある廷臣たちは、水やワイン、さまざまな料理をたずさえて準備をすませています。進行を早めようにもこの式典には時間がかかりますし、少女たち全員がまともな食事をとるための分別、あるいは食欲をあらかじめ備えてきているわけでもありません。彼ら廷臣はそれから凶器の所持を取り調べています。とんでもないことをしでかす素質を持った、ごく一握りの少女たちが、「彼」や自分自身を切り刻もうとしたことがあったのです。呪縛に囚われて蒼ざめたあのお方、 もしくは白雪の君、あるいはその手の何かには、三滴の血が効くのだとか……。さて厳密な指令こそなかったものの、廷臣たちは現体制がなにを危惧しているかをじゅうぶん分かっていました。ナイフを持った少女は誰だって、すべてを終わらせたり、損なったり、つまりは現体制が絶対に許さないであろう何かをしでかすことができたのです。

だから退屈な仕事と思いつつ、廷臣たちは少女たちがキスのために歩みよってゆくのを注意深く見ています。すべての少女が接吻をやりとげるわけではありません。「彼」はもちろん、本当に死んでいるというわけではなくて、実際彼に触れた人たちはよく、後になってから彼のむしろ不愉快なほどだった温もりについて話します。そ してごく少数が、彼がゆっくりと夢見がちな息を吐き出すちょうどそのときかがむという不運に遭ったことについてふれるのです。「なんてことなの。甘く香る吐息なんて!」。なにゆえ香るのかは誰にもわかりません。誰ひとりとして彼がどうやって――往時のスケッチや記述が信じられるとして――百年以上の歳月を経て同じ容貌を保っていられるのかを説明できないのと同じように。ただつまり、ほとんど死んでいる身体(違いますか?)から発せられるものにしては、奇妙に感じられるのです。

だけども彼が本当の意味では死んでいないとしたって、彼にキスするためにひざまずくのは楽しいことではないんです。とりわけ周りの人たち――他の女の子と廷臣たち、興味深げな遠方からの使節ら、そして現体制の担当官――が見ている中では。ひとりかふたりの女の子たちは、「ほんとに屍体にキスするほうがまし。だって少なくとも相手がなんなのかは分かるから」と打ち明けているところをぐうぜん聞き留められました。彼の顔の数インチ手前で動きを止めたからといって、それゆえ彼女たちを責めるわけにもいかないでしょう。まあでもいずれにしたって、苦労して彼の温かな唇に唇を押しつけるような子たちにしても、そう時間をくうというわけではありません。

それにしても、若い子ばかり来ています。現体制がそう指示しているからとのことですが、理にかなったことだとも言えるでしょう。もちろん、幼ければ幼いほど、というわけではないけれど、王子自身が少年のような見た目を決して失わないのに、そこへ年かさの少女があてがわれたとしたら、きっと見苦しい光景になることでしょ う。たとえお姫さまであったとしてもです。ほとんど全員がすでに挑戦し、同時に失敗し終えていて。抗議するような年長の子たちはほとんどいません。加えて現在の支配体制は、二回目のキスを容認していません。
今の状態で、彼が何かを考えることができるのだとして、ですけれども、彼が何を考えているのかは誰も知りません。唱えられている説はさまざまで、ある人はあまりにも深く眠っているために夢を見てはいないのだと主 張しているし、またある人は彼は夢を見ているのだと言います。彼のこれまでの暮らしについて、もしくは彼を救うことになる真の姫君について。可能性はとても低いにもかかわらず、彼と結婚する少女は、もちろんまさしくそのキスによって姫君となるわけですけども、現体制はこの決まりには不賛成です。そして生まれながらの真の姫君は、長らく現れていません。

彼が、ありふれたものごとについて夢見ているのだと考えている人たちもいます。彼が生きることのなかった、 生きることのできなかった人生のことを。

けれど彼は、呪われているんだ。

だからこそある者たちは主張するのです。いかに彼が目を瞑り、その胸をゆっくりと上下させ、ひざまずく者すべてに唇を閉ざしていようとも、彼にはきっと意識があるのだと。これは順番を待っている女の子たちには聞こえない、囁き声で交わされる噂で、口にするのは現体制についてひそやかな意見、大声で言うには危うい主張を 持っている人たちなのですが、彼らは確かに、確かに見たというのです。一回また一回とキスが終わるたび、これが正しいキスではないと知っているかのように、彼の指がぴくぴくと動き、掌が拳を作るように握りしめられるのを。


投稿日:
カテゴリー: 翻訳

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA