セルキー譚は負け犬のもの
Selkie Stories Are for Losers
ソフィア・サマター 作
西村取想とシタギセール=カオル 訳
海ではアザラシ、陸では人間、それがセルキー。
愛しい人を失ってしまうセルキー譚に少女が背を向けるための、ひとつの出会い。ジュブナイルの揺れる心がいま叫び出す。
初出
Strange Horizons, January 2013
著者紹介
ソフィア・サマター
ジェイムズ・マディソン大学にて英語学准教授としてアフリカ文学、アラビ ア文学、SFについての講義を行う傍ら小説や詩を執筆している。本作は、ヒ ューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞、英国SF協会賞の候補となった。『図書館島』『翼ある歴史 図書館島異聞』の二作が邦訳されており(共に市田泉訳、東京創元社刊)、初長編作である前者は世界幻想文学大賞、英国幻想文学大賞などを受賞した。本作や書き下ろし作品を含む短編集”Tender”が2017年にSmall Beer Pressより出版されている。
作者ページ
http://www.sofiasamatar.com
本翻訳は作者の許可を得て掲載しています。
セルキー譚というものを憎んでいる。そのお約束はこう。本を探しに屋根裏部屋へ上がると嫌な感じのする古臭いコートが目にとまるので、二本の指でつまんで下に戻り「これはなに?」と尋ねると母親に二度と会えなくなる。
わたしはル・パシャというレストランで働いている。ママがいなくなってから、家計を助けるためにわたしはこの職を得た。はじめて勤務した夜は、給仕長に二度どなられ、熱くなった皿で指をやけどし、レンズマメとパセリのスープをエプロンにぶちまけ、鍵をキッチンに忘れた。
わたしは最初、自分が鍵を忘れてきたことに気がつかないまま、駐車場で髪から油のにおいを立ち上らせながらゆっくりと呼吸をしていて、他の車のエンジンがすべてかかり走り去ってようやく上着のポケットに手を入れた。そして気がついた。
走ってレストランまで戻り、ドアをドンドンと叩いた。もちろん誰も来ない。タバコのにおいがしたと思うと声が聞こえた。
「ねえ」
振り返るとモナが立っていて、彼女の指のあいだから煙が白く上っていた。
「中に鍵を忘れたの」とわたしは言った。
モナはル・パシャにもうひとりだけいる女の子の給仕。わたし以外の全従業員と親戚関係にある。オーナーは「タッドおじさん」という名で知られているけれど、本当に彼女のおじさん、彼女の母親の兄弟なのだ。「どうしてもってとき以外はあいつに話しかけちゃダメ」とモナはわたしに忠告した。「あいつ、気色悪いんだよ」それは、彼女がため息をついてから靴底でタバコの火を踏み消し、わたしの組んだ手に足をかけて窓まで押し上げられたあとのこと、彼女が身をよじってキッチンまで行き、わたしのためにドアを開けたあとのことだった。彼女はそっけなく「マダム」と言ってお辞儀をした。お辞儀はさておき、「マダム」とは言ったはず。「マイ・レディ」だったかも。その夜のことはあまり覚えていなくて、それはふたりでワインをたくさん飲んだから。不法侵入してんだから何かくすねちゃおうよ、とモナは言って、すでに栓の開いていた赤ワインのボトルすべてを一列に並べた。わたしは携帯電話で彼女を照らし、彼女は特注のゴム製コルクを抜いてそれぞれのボトルから少しずつ、ひとつのプラスチック製ピッチャーに注いだ。彼女はそれを「ハウスワイン」と呼んだ。わたしは彼女がとても親切なことに驚いていた。というのも彼女は一緒に働いているときにはほとんど話しかけてこなかったから。モナはのちに、自分が人見知りであることを教えてくれた。家に電話をかけたところ、パパは出なかった。おそらく地下にいるのだろう。伝言を残して切った。「今晩そいつがわたしになんて言ってきたと思う?」とモナ。「そいつは牛肉のクスクスが欲しかったのに、この牛肉のスクスクをくださいって言ったの」
モナのママはル・パシャの従業員ではないけれど、時々、三時ぐらいに店に来て、モナの担当場所に座って泣き出す。するとモナはオレンジ色の野球帽に頭を押し込み、裏口から外に出てタバコを吸いはじめるので、わたしがモナの担当場所を引き継ぐ。モナのママはわたしには何も注文しようとしない。彼女はモナと同じ目をしている、あるいはモナが彼女と同じ目を。大きな、怒った目で、まつげの毛先は上に向かってカールしている。彼女は頭を振りながら「何でもない! 何でもないのよ!」と口にする。最終的にモナのママは、様子を見にきたタッドおじさんに抱きついてキスをする。アラビア語でむせび泣きながら。
仕事が終わるとモナが言う。「鍵は持った?」ふたりでわたしの車に乗り込み、街を抜けて「ボーン・ゾーン」、丘の上の巨大な共同墓地へと向かう。わたしはがらんとした駐車場に車を入れ、モナはジョイントを巻く。明かりは駐車場の真ん中に、高く冷たく燃えるランプがひとつあるだけ。モナは靴を脱ぎ、足をダッシュボードの上に載せて泣く。わたしたちが会ったあの夜すでに、彼女はそのことについて警告していた。「モナってすごくおもしろい」とかなんとかバカみたいなことを言ったわたしに「実は泣き虫なの。知っといて」と返したのだった。モナ自身についてわたしが気にしないようなことでも知っておいてほしいと思われているみたいで、とてもしあわせな気持ちになった。相変わらず気にしていないけれど、モナがよく泣くというのは本当。彼女は、ママが自分をエジプトに連れ去るのではないかと恐れて泣く。そこはかつて一家が住んでいた場所なのだけれど、モナは行ったことがなかった。「そこで何をしろっての? アラビア語を話すことさえできないのに」そう言って彼女が袖でマスカラを拭うので、わたしは外のランプに彼女の目を向けさせ、そのぼんやりとした輝きはかがり火であり、わたしたちは今までに書かれたすべてのセルキー譚を手ずからそこに投げ込み、それらが燃えるのを見ているの、と言い張る。
「投げ込んでるのはあんただし、あんたのが燃えてるの」と彼女は言う。わたしのじゃない、絶対に、と言い返し、決して自分の身の上に起きたセルキー譚は口に出さない。絶対に教えたりしない。あの日、屋根裏部屋に上ったことを、わたしの探していたものが小さいころによく読んでいた『美女と野獣』の本であり、それはある動物が人間の姿に、あるべき姿に変わってそのままでありつづける本当によくできた話であることを。わたしはモナに教えない。美女の黒い髪の毛がページの端に向かってカールしていたことを、野獣には黄色い角があってタキシードを着ていたことを、その本の代わりにコートを見つけると、わたしのママがそれを着てキッチンのドアから外に出ていき、自分の車のエンジンをかけたことを。
セルキー譚のひとつにアイスランドのミルダルール出身の男についてのものがある。ある日、崖の上で、人々が洞窟の中で歌い踊っているのを耳にした彼は、たくさんの皮が岩々の上に積み重なっていることに気がついた。彼がそのうちの一枚を家に持ち帰り、箱にしまって鍵をかけてから元の場所に戻ってみると、少女がひとりぼっちで座って泣いていた。彼は裸の彼女に服を着せ、家に連れて帰った。彼らは結婚し、子供をもうけた。このあとどうなるのかは知っての通り。ある日、男は着替えるときに脱いだ元の服のポケットから箱の鍵を取り出すのを忘れ、妻は洗濯をする際にそれを見つけた。
「あなたはエジプトになんか行かない」とモナに語りかける。「わたしたちはコロラドに行くの。覚えてる?」
コロラドに行く。それはわたしたちの大きな夢。そこはモナが生まれた場所で、四歳まで住んでいた。彼女は今でも岩々やマツの木々、そして冷たい、冷たい空気を覚えている。コロラドの雲は輝いていて鏡の破片みたいなの、とモナは言う。コロラドでモナの両親は離婚し、モナのママは生まれてはじめて自殺を試みた。彼女はこの街にやってきてからふたたび自殺しようとした。クッ ションにもたれかかりながらオーブンに頭を入れたのだ。モナはそのとき、十二歳だった。
セルキーはさっと海に戻る。そこから離れたことがないかのように。それが人間との違いのひとつだ。かつて、わたしのパパはどこかへ戻ろうとした。パパはドイツ駐屯部隊に属していたのだけれども、わたしの曽祖母の生まれた町を訪ねるためにノルウェーへと向かった。パパは
本当にその町を、さらにはわたしたちの名字を冠した古 い農場さえも発見した。パパは町のレストランに入ってルートフィスクを注文した。ルートフィスクはわたしの祖母がよく作る吐き気のする料理。シェフがキッチンから出てきて、いかれたやつを見るようにパパを見た。そして言った。それはクリスマスにしか食べないよ、と。
ルートフィスクの本場の味を持ち帰るというパパの計画は頓挫した。だからパパがノルウェーで手に入れたものは、わたしの曾祖母の聖書だけ。彼女が北の農場で書いた日記もあるけれど読むことはできない。その一冊を通して英単語は四つしか書かれていないのだ。
「わたしの 最低 最悪の 日」
パパがノルウェー、アザラシのいるその国からママを連れて帰ったと思うかもしれない。でも違う。パパはプールでママと出会った。
ママはといえば、自分の親戚のことを決して話さなかった。一度、親戚はいるのかとママに聞いてみたことがあるけれども、彼らは人間ではない、というのが答えだった。そのときは、親戚は皆ヤク中だったり殺人者で、もしかするとどこかの刑務所にいるのかもしれないのだと思って怖くなった。今では、むしろそうであってほしいと願っている。
モナには教えていないセルキー譚のひとつは『イギリス伝承文学辞典』に書かれているものだ。隠された皮を見つけるのは、セルキーを母に持つ幼い娘。その子は、何が起こるのかをもちろん知らないけれど母親が皮を探しているということだけは知っていて、パパがベッドの下からそれを取り出して優しくなでていたことをふと思い出す。母親は皮を引っ張り出して「さよなら! 愛しいおちびちゃん!」と言う。その幼い娘がどれほど自分のことを恋しく思うのか、その母親は思い至らない。あるいは、今までずっとそうしてきたのだから自分はきっともう少し息をしていられる、とは考えない。彼女はただ、さっと皮を身につけて海に飛び込む。
ママが行ってしまったあと、わたしはパパが仕事から帰るのを待った。わたしがコートについて話してもパパは何も言わなかった。ストーブの上の時計の光に照らされながら立ちんぼのパパは指を静かにこすり合わせていて、まるで関節を鳴らしているように見えたけれども音はしなかった。それから台所用テーブルについてタバコに火をつけた。わたしはそれまでに一度も、家の中でタバコを吸うパパの姿を見たことがなかった。ママは正気を失ってキレちゃうなとわたしは思った。それから理解した。違う、わたしのママは何も失わないだろう。わたしたちが失うのだ。負け犬。わたしとパパが負け犬だった。
パパが相変わらず起きてわたしを待っているから、夜十二時の少し前に駐車場を去る。はやく家に着いてパパに小言を言われないようにしたいと思うと同時に、パパが古いテレビを分解している地下から出てきて大学についてわたしと話し合おうという気にもならないくらい遅く家に着きたいとも思っている。パパには、大学に行くつもりはないと言ってある。わたしはコロラド、つまり内陸の州に行く。五十ある州のうち完全に陸に囲まれている州はたったの二十しかない。「完全に」というのは五大湖にも海にも面していないということ。モナは明かりをつけ、鏡を見ながらアイライナーを引こうとし、わたしは急ハンドルを切って彼女の顔をめちゃくちゃにする。彼女は明かりを消してわたしをはたく。窓はすべて開けられていて、車内に入ってくる外の空気にモナの髪が豪快になびき、その顔を覆う。愛しいおちびちゃん、それは「愛情を示す言葉」なんだってあの本には書いてある。「愛しいおちびちゃん」とモナに言う。彼女はしゃっくりをして笑い出す。彼女は笑いつづける。
わたしは一度もモナにキスをしたことがない。キスをすることについて何度も考え、今はそのときではないと結論しつづけている。彼女が面食らうだろうとか、そんなことを考えているのではない。彼女がキスを返してくれないかもしれないと恐れてさえもいない。もっとひどいこと、彼女が見せかけのキスを返してくることを、わたしは恐れている。
おそらくセルキーに恋をした最も悲惨な負け犬のひとりは、彼女の皮を背嚢に入れて持ち歩いていた男だろう。彼女にそれが見つかってしまうことを恐れるあまり、彼はどこへ行くにもそれを持って出た。釣りに行くときも、街へ飲みに出るときも。ある日、彼は驚くほどたくさんの魚を釣った。あまりにもたくさんだったのですべてを網に入れて家まで引きずることもできず、空にした背嚢に魚を詰めて皮は肩にかけたところ、家へと向かう道すがらにその皮を落としてしまった。
「表も裏も灰色。まさにこれを探していたの」とは、その男の妻が皮を見つけたときに言った言葉だ。男は彼女を捕まえるために走り、彼女がすでにアザラシの姿になっているのも気にせずにキスをしたけれども、彼女は不快そうに身をよじって道路から水の中へ飛び込んだ。男は冷え冷えとする魚臭い海に膝まで浸かり、泣いた。セルキー譚。その中で、キスは何の解決ももたらさない。キスで姿は変わらない。ただ愛してさえいれば愛し返される、なんてこともない。だってそれは、おとぎ話なんかじゃない。
「ママはどうしても目を覚まさなくて」とモナが言う。「オーブンから床に引っ張り出して、ガスを止めて窓を開けた。タッドおじさんと警察に電話した。頭ん中はずっと真っ白。わたしってバカだからさ」
バカなんかじゃない。モナは心肺蘇生法を試みさえした。でも彼女のママは、のちに病院で目覚めるまでピクリとも動かなかった。医者たちは彼女を死の淵から救い出さなければならなくて、そのために懸命の処置が行われた。彼女は死に瀕していた。死はぴったりと張り付いてるの、とモナは言う。まるで表も裏も灰色の、あの皮のように。
親愛なるモナへ
あなたを見るたびにわたしの皮が痛むの。
彼女を家まで送る。モナの家は暗く、通りでいちばん暗いのだけれど、それはモナのママが玄関ポーチに明かりをつけることを嫌っているから。ブラインドのまわりが照らされていると眠れないらしい。モナのママの見事な寝室は二階にあって、たくさんの古写真が金メッキの 額縁に入れられて飾られているのに、彼女は居間で、水槽の横にあるソファベッドで眠る。魚を見ていると寝つきが良くなるらしいのだけれども、そんな彼女が言うには、この国に本物の魚なんていないそうだ。モナはそれを、ママの「口ぐせ」のひとつだと思っている。
モナが車から降りると、彼女がどこに行こうとも彼女とともにあるわたしの心の小さな欠片がぐいっと引っ張られる。彼女は車の外に立ち、開いたドアから身を差し入れる。わたしは彼女を直視できないけれど、彼女の髪につけられたレモンの香りは漂ってきて、それには汗とマリファナのにおいが混ざっている。モナのにおいは森み たい、海ではなくて。「あっそうそう」と彼女。「言い忘れてた。今夜の六番テーブルって覚えてる? ほら、あの騒がしかったタッドおじさんの友人たち」
「うん」
「あいつら、食べ物と一緒にスープを頼んだんだけどね、わたしはそのことを忘れてたの。そしたらあの老いぼれがわたしになんて言ったと思う? テーブルの上座にいた小さい野郎がさ」
「なんて言ったの?」
「あいつ、『ヴゼットゥ・ベットゥ・マドモアゼル』って言ったの!」
彼女はしわがれた乱暴な声でそう言って笑っている。わたしに唯一分かるのはそれがフランス語であるということだけ。
「どういう意味?」
「あなたはまぬけだ、お嬢さん!」
彼女は首をすくめて、クスクス笑いを堪えている。
「彼はモナのことをまぬけと呼んだの?」
「そうだよ、『まぬけ』。野獣のように、ね」
モナはもたげた頭を振って髪の毛を払う。よその玄関ポーチの明かりが彼女の鼻で反射する。彼女がノルウェー人のアクセントを真似する。「わたしの最低最悪の日」
わたしはうなずく。「最悪の日」わたしたちはいつもそれを口にしているから、つまりそれは「口ぐせ」と呼べるような日常的な冗談のたぐいだから、あるいはもしかするとわたしがマリファナを吸ったから、ふたりで過ごした数えきれないほどの時間が、今この瞬間に織り込まれているみたいに感じる。皆で大晦日に出かけた帰りにタッドおじさんが家まで乗せてくれたんだけど、車から降りようとしてドアを開けると、閉めるように言われたから「外に出たらそうするわよ」と返してやったの、とモナに話すと、ふたりそろってゲラゲラ笑いが止まらなくなってトイレに逃げ込んで隠れなければならなかったとき。店にやってきた学校の友人たちに、未成年だった けれどワインを出そうとして、緊張したモナがテーブルクロスにワインをぶちまけたとき。モナのすてきないとこが訪ねてきて電子レンジでチーズとミントのサンドイッチを作ってくれたのに、まわりからは食べ物を無駄にするなと叱られたとき。そして、モナのママの誕生日を祝うパーティーで、タッドおじさんの音楽の演奏にあわせて皆が踊り、モナのママの目が涙で宝石のように見えたとき。あとでモナはこう話してくれた。「わたしはただただ一目散に逃げるべきなの。彼女をここに引き止めてるのはわたしだけなんだから」ああ、最悪な日々。わたしの人生最良の日々。
「じゃあね」とモナがささやく。わたしは彼女が家の中に消えるまで目で追いつづける。
わたしのママは朝方キリスト教女子青年会で泳ぐのが常だった。ママは小さいわたしをそこに連れて行った。わたしは泳ぐのが好きじゃなかった。ママが水の中でおぼろげな線条となって行ったり来たりを繰り返しているあいだはいつも、本を持って椅子に座っていた。『フリスビーおばさんとニムの家ねずみ』を読んでいたときには、ひたすらプールの両端を交互に触りつづけているママが実験中のラットのように見えた。ようやくプールサイドに上がると、ママは水泳帽を脱いだ。更衣室で水着をつるすと、灰色の薄い布から床に水が滴った。ほとんどの人が南京錠のツルに水着の肩紐を通していて、だからロッカーの外につるしておいても水着が盗まれることはなかったのだけれど、わたしのママは決してそうしなかった。ただ南京錠にゆるく結びつけるだけ。「誰もこんなゆるゆるのお古なんて盗もうとしないよ」とママは言った。たしかに誰も盗まなかった。
物語はそこで終わるはずだったのに。でも、そうじゃなかった。パパはわたしに言い聞かせる。ママは自然界の生き物、ある種の異邦人で、わたしたちとは種族が違うんだよ、と。ママが去ったのはわたしのせいじゃなくて、ママが地上での息の仕方を身につけられなかったから。今まで耳にした中で最低の物語。決してモナには語らない、絶対に、それはわたしたちが必要なものをすべてわたしの車の後部座席に載せてコロラドに向かっているときでさえ、前もって計画していたようにスーパーマーケットで彼女と落ち合うときでさえ、オレンジ色の野球帽をかぶった彼女が笑顔でこっちに走ってくるときでさえもだ。教えなんかしない。屋根裏部屋というものが危険であるということを、世の中には立ち直れないひともいるということを、いまだにあのコートと同じ明るい灰色の長い髪をしたママを陳列窓の中に見るということを、かつて小さないとこたちが訪ねてきて一緒に動物園へ行き、そこで二匹のアザラシがわたしに気がついたとき、二匹ともが水の中で立ち上がり知らない言葉で会話していたということを。話すわけない。あまりに怖い。彼女が知る必要のあることも黙っておく。わたしたちが互いのママよりもたくましくならなければいけないことを、異なった物語を手に入れなければならないことを、彼女は心変わりするべきではなく、コロラドでわたしと別れたりするべきではないということを。だってもしそんなことになったらわたしは理解できなくて彼女を永遠に憎むことになるし、そうなったら彼女のものを燃やして一晩中森の中で叫びつづけるだろうから、それに息ができないなんてばからしいし、ある場所では息ができるのに別の場所ではできない人間の話なんて誰も聞いたことがないし、わたしたち、モナとわたしはそんなんじゃないし、そもそもセルキー譚は悪い魔法に囚われつづける負け犬だけのものなんだから。落し物をする人、すべてを話してしまう人、鍵を出しっぱなしにしておく人、手放してしまう人。そんな負け犬だけのものなんだから。