翻訳短編:ラショーン・M・ワナック「一羽は悲しみ、二羽でよろこび」

一羽は悲しみ、二羽でよろこび
One For Sorrow, Two For Joy

ラショーン・M・ワナック 作
白川眞 訳

死んだ子どもの世話をする引受人アンダーテイカー
抱えきれない悲しみを、カラスが子どもとともに連れ去ってゆく。

初出
Fireside, April 2018

著者紹介
ラショーン・M・ワナック

Lightspeedなどに寄稿するファンタジー・SF・ホラー作家。N・K・ジェミシンやフォンダ・リーらを輩出したスペキュレイティブ・フィクションのワークショップ、Viable Paradiseの卒業生。ウィスコンシン州マディソン在住。スティーブン・ユニバースの大ファン。

作者ページ
https://tbonecafe.wordpress.com/

本翻訳は作者の許可を得て掲載しています。


美しいのは……

その男の子はぽちゃっとした顔をしていて、輪郭は黒糖シロップのような色の巻き毛でふち取られていました。動かなくなった胸の上にたたまれている手はとても柔らかそうで、「引受人アンダーテイカー」はたまらなくなって、そのなめらかな指に唇をそっと押しつけてみました。

彼女はその子の両親が送ってくれた写真をじっくりと見ました。輝く瞳、きらめく笑顔。両腕を広げてラブラドル・レトリバーに抱きついています。男の子一家の友人は、そのイヌが一番こたえていたように見えたのだと、涙ながらに語りました。そのイヌは男の子のベッドへ行き、ベッドカバーを引きはがして、その上に伏せていたのです。イヌはエサを食べたがらず、ただ悲しそうな眼でベッドを見上げていました。「どうすればいいのか、わからなくなっちゃったんです。イヌにどうやって伝えたらいいのでしょうね。キミの好きだったあの子はもう――」

彼が手で顔を覆ったのを見て、引受人は腕をさすってあげました。

さて、引受人は男の子の巻き毛をくしけずって、身につけているシルクのスーツを整えてやります。ご両親は、この衣装にお金を惜しまなかったようです。引受人はご両親の指示書にしたがって、小さな兵隊さんの人形とクルマのおもちゃを、開いている棺のところに置いてやります。男の子が履いている靴もピカピカになるまで磨いてあげました。それから棺から一歩うしろに下がって、何かおかしなところはないだろうかと確認しました。

一羽のカラスが窓から覗いています。引受人は硬くなったロールパンを手に取り、それを窓へ投げつけました。

「まだよ」ちょっと怒ってそう言います。

引受人は男の子の手の下にあの写真を押し込んで、それから棺をかつぎ上げました。それは、故人ではなく傍観者を慰めるための、ばかばかしいほど高価な棺箱の類

ではありません。その棺は、無地のオーク材でつくられています。彼女がつくるものはみんなそうなのです。重たい棺でしたが、それ以上に引受人の腕はたくましいのでした。

引受人は家の裏手にある大きな玄武岩の安置台まで男の子を運びました。そこからは西の森が一望できます。羽ばたきの音が聞こえてきて、カラスが近くのカエデの木のところまでついて来ているのがわかります。玄武岩の上に棺を置き、あっちのくせ毛を直してやったり、こっちのズボン裾をまっすぐにしてやったりしながら、しかるべき祈りの言葉を低く唱えました。

カラスたちが近くのカエデの木に集まってきました。静かに近づいてくるので、羽が擦れる音以外は聞こえません。
夕方の太陽が遠く西の木立の下に沈みはじめたとき、エプロンのへりに手を伸ばして、最後の品を取り出しました。それは輝く銅のコイン。彫りこみは何もありません。彼女はそれを男の子の額の上に置くと、その場から立ち去りました。

カラスたちが鳴き声を上げ、棺の上に降りてきます。カラスたちが自分たちの仕事をしているあいだに、引受人はクローバーとスミレのじゅうたんが敷かれたささやかな高台に移動しました。座って、太陽が黄昏への旅を終えるのを眺めます。そうして、首に巻いている緑色をしたシルクのリボンに結びつけられた、小さな緑色の小袋に触れようと、手を伸ばしました。

もう一羽のカラス(ひょっとしたら先ほどと同じカラスかも)が彼女の前に降り立ちました。くちばしには何か光るものをくわえています。彼女はそのカラスに石を投げつけましたが、たいして力の入らない投げ方でした。

品のいいのは……

「花が大好きな娘だったんです」

引受人アンダーテイカーの私室に座る女性はとても優美で、すらりとした手足をしていました。ひょっとしたらダンサーなのかもしれません。カールした長いまつ毛を、玉のような涙が縁取っています。その女性は向こうにある部屋に目をやっていました。その部屋は引受人の作業場で、このダンサーさんに生き写しの少女が棺に横たわっているのです。少女の頬は今も熟れきって産毛が生えた桃のような色をしています。誰かわかりませんが、少女の防腐処置をした人は素晴らしい腕だったのでしょう。

「私は柳の木の下に埋めたかったんです。ラッパスイセンやカスミソウや、ヒナギクなんかといっしょに。それがあの子の希望で ――」女性は涙に声を詰まらせながらそう言いました。引受人は女性が落ち着くまで辛抱強く待ってあげました。待ちながら引受人は、この女性の娘が地面に埋められることにならなくてよかったと、密かに喜びました。だって、きっと芋虫やムカデたちがかじってこの愛らしさを毀してしまうだろうから。しばらく経ってようやく、女性は今一度、引受人を上目づかいに見て言いました。「この子は苦しむことになるんですか?」

「彼女の魂はもう暖かな草原にあります。何も感じることはないはずですよ」

「どうやったらそれがわかるんですか?」

引受人は、女性の震える声のなかに言葉にならない疑問を聞きとりました。私は苦しむことになるの? 私はこの痛みを感じ続けることになるの? と。

「そんなことにはなりませんよ」と引受人は女性を安心させてあげました。

引受人が手を差し伸べると、女性は、少し経ってから両面とも無地になっている銀のコインを渡しました。しばらく経ったのち、引受人は木々の下に沈む太陽を座って眺めています。カラスが彼女の前に降りたち、足元になにか光るものを置いていきました。今回は、それを手に取ります。それは銀のコインで、片面には今朝いた少女の肖像が彫られています。桃色だった頬は銀色に輝いていて、細部は隅々まで完ぺきです。もう一方の面には、女の子の名前と誕生日、それから命日が、小さな輪を描く絶妙な書体で彫られています。引受人がそれを返すと、カラスはくちばしでコインをくわえて飛び立ちました。引受人はカラスが深まる黄昏のなかへ飛翔していくのを眺めました。

たとえば都市に、あるいは町や、農家の家で――、カラスはどこかの窓辺へ降りたちます。そしてカラスは、今朝の女性がやってきて窓を開けるまでコツコツと窓ガラスをたたき続けるはずです。女性はカラスが置いていったコインを手に取り、目をぱちくりとさせながら彫りこみを見て、指でその名前をそっとなぞるでしょう。それから娘がいた部屋へと目を向け、女の子の着ていた服と赤ちゃん人形がぎゅうぎゅうに詰めこまれた箱と、部屋の隅にある解体された子供用ベッドを目にとめます。女の人はコインをしまってから、荷造りを再開し、娘の子供部屋をふつうのベッドルームへと戻す作業に戻るはずです。彼女はの涙は乾き、澄んだ目をしていることでしょう。おもちゃと服は売られ、ベッドは屋根裏部屋へ片づけられることになります。

もし道で誰かが彼女を呼び止めてお悔やみの言葉をかけたなら、彼女は軽い戸惑いと、あるいはもしかするとほんの少しの悲しみとともに、ありがとうございます、と言うことでしょう。

しかし、彼女はコインを取っておくはずなのです。他のみなもそうしてきたのですから。

べそをかくのは……

本当にたくさんの深い悲しみがあるものだ、と引受人アンダーテイカーは物思いにふけります。うまくいかなかった結婚に、失業。でも、子どもを喪うことは最も鋭く胸に突きささります。親が死んだときの子どもの悲しみなど、どうでもいいのです。手垢のついた言葉ですが「親は子どもより長生きするなんて夢にも思わない」というのは真実なのです。子どもの死というのは、ただの死ではありません。それは夢の死でもあるのです。構想の、将来の、可能性の死なのです。

依頼人たちはあちこちからやって来ます。泣き叫ぶ父親だったり、平然としている母親だったり。あるいは、うめき声を上げながら着ていたシャツを引き裂き、髪をかきむしる人たち。まるで自分を痛めつければ子どもが戻ってくると信じているかのように。または、押し黙って座っている人たち。黙っていても、伏せられた目ときつく結ばれた唇だけで、その愛した子どもが運ばれていったときの悲しみがわかるのです。ほとんどの人はお葬式が終わったあとにやって来ます。でも、たまには病院や遺体安置所から直接来る人もいます。

引受人は悲しみのあらゆる側面をよく知っています。彼女の役目はシンプルです。遺族といっしょに座ってあげること。そして話を聞いてあげること。できれば慰めの言葉をかけてあげること。それから、それが必要な人には悲しみの角を丸めて、先へと進めるようにしてあげること。

カラスたちはこの仕事を助けてくれます。

あるとき、カラスが子どもを食べたのかと尋ねてきた人がいました。引受人はがく然としてその人を見つめました。なんてひどい考えだろう。子どもを食べるだなんて。カラスたちは決してそんなことをしたりしません。ではカラスたちはどこへ行っているのでしょうか? カラスは子どもたちになにをしているのでしょうか? でもそれってそんなに大事なことなのでしょうか? 子どもたちはもう死んじゃってるんですから。どうやったって生き返らせることはできません。質問に答えてあげるのは彼女の仕事じゃありません。カラスたちは思いやりがあるわけではありませんが、かといって残酷というわけでもありません。確かにわかっているのは、後には何も残さずに去っていくということだけ。

今日の子どもは、子どもでさえありませんでした﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅。玄関先に置かれたそれは、血にまみれたボロ布の塊で、赤ちゃん用のブランケットで包まれています。流産か、もしくは中絶でしょうか。引受人はどちらなのか知ることはありませんし、探ろうともしませんでした。それは彼女の仕事じゃありませんから。

引受人はその塊を、生きた子どもと同じように扱ってやります。子守唄を歌ってやり、こんなときのためにとっておいたぬいぐるみを持ってきてあげます。抱きしめてやり、あらかじめ作ってあった棺桶に横たえてあげるのです。その棺はとても小さくて、片手で運べるほどの重さです。それから、こうしたとき用の予備のコインを、額と思われる箇所へ置きました。

カラスはその塊を、棺といっしょに持っていきました。悲しみ、それは予想通りにはいかないもの、と引受人は独り考えます。ある人にとっては、悲しみは千の太陽が身を焦がすような衝撃となり、癒えるまで何年もかかります。ときには数十年になることも。またある人にとっては、悲しみはほとんど長続きせず、朝露のように不意に消えてなくなってしまう。そして、悲しみなど全く感じない人もいます。喪失の痛みに身体を二つ折りになるように曲げ縮こまっていた人が、もう一度別の愛する人を失くしたときには涙も浮かべず平然としていることもあります。悲しみとは、気まぐれなものなのかもしれません。

引受人は、ずっと前に学んでいました。これをどうやって受け止めればいいのかを。子どもの追悼に来なかった人を見ても、もはや動揺することはありません。連れ合いが涙を流しているのを慰めることなく、平然としたまま立っているパートナーを見ても、怒ったりすることはありません。悲しみには微妙なニュアンスがあり、複 雑な階層をもっていて、自身の理解を越えているということを学んでいたのです。

動揺や怒りを感じたときはいつも、手を伸ばして首に巻いたリボンについたシルクの小袋を触るようにしています。実際のところ、ひんぱんにそうやっているので、もはや自分でも気がつかないうちにそうやってしまっているほどです。

だけど、そっと触ることで、落ち着くことができたのです。いつも、それだけで十分なのでした。

お金も要りません。必要なことはカラスたちが世話をしてくれます。食べものや、そのほかのものを持ってきてくれるのです。そして、カラスたちは子どもたちと心の痛みを連れ去っていくのです。

旅に出るのは……

だからこそ、その次の日、引受人アンダーテイカーは自分の反応に困惑 してしまうことになったのです。

書斎に座る二人の女性は、それぞれ左手に赤鉄鉱ヘマタイトの指輪を一つずつはめていました。暗い印象のある方の人は、悲しみにみちた顔でしたが、涙は浮かべていません。赤いスカーフをターバンのようにして頭の上に巻いて、スカーフと同じくらい赤い翡翠が一粒はめ込まれた革のブレスレットを右手首につけています。もう一人の方は、パートナーの静かな黒い色とは対照的に、琥珀色の肌をした女性で、全身がきつく締めつけられているような印象です。編み込みコーンロウも、顔も、こぶしも、すべてがきつく。「あなたに私の気持ちの何がわかるっていうんです?」と琥珀色の女性が強く言いました。

引受人は儀礼についての口上を述べている途中で切ります。「何とおっしゃいました?」

赤翡翠の女性はパートナーの肩をさすろうと手を伸ばしましたが、さっと身を引いてそれを避けます。「どうして私の子どもをあなたに渡さなきゃいけないの?私がこの悲しみを忘れたいと思っていなかったとしたら?」

「忘れることにはなりませんよ」引受人は説明を続けようと口をはさみました。「痛みをやわらげるだけです」

「痛みをやわらげるなんて、してくれなくていい」女性の怒りの力で引受人は椅子のところに押し戻されました。「私の息子だったの。私の男の子。ここにぽっかり穴が空いていて、どうやっても埋められない。この穴を無視しろっていうわけ? 私は母親だったのよ!」

「私も母親だった……」赤翡翠の女性が呟きます。

「ではなぜここへ来たのですか。嫌ならどうぞ出て行ってください」引受人は立ち上がり、話しながらだんだんと声に力がこもるようになっていきます。「どうぞあの子を地中に埋めてください。灰になるまで炎で燃やしたっていいでしょう。あなたの腕のなかで腐っていったって、私にはどうでもいいことです。痛みを抱えて生きればいいでしょう。何も考えられなくなるまでうずくまっていればいい。でも、それから何をするっていうんです? 息子の後を追うようなばかげたことをするとか? 後を追って、取り消せない誓いを立てるっていうわけ?」暗い方の女性に向かって指をつき立てます。「あの子に加えてあなたまで失ったら、彼女がどう思うか、わかってます?」

編み込みコーンロウの女性は立ち上がり、「間違いだったようね」と言って出ていってしましました。パートナーの女性も、急いでその後を追います。二人とも出ていくときに玄関のドアを閉めようとはしてくれませんでした。

一羽のカラスが戸口のところへ降り立ち、鳴き声をあげて翼をはためかせます。今日は引受人が投げつけるものはありませんでした。

惚れっぽいのは……

一人の子どもも届かなかった日だったので、引受人アンダーテイカーは家のドアと窓をすべて閉めて、日除けのブラインドを引きました。それから作業部屋へ入って、首にかけていたシルクの袋を外し、ベンチの上にその中身を出しました。

骨の破片、丁寧にやすりがけされた爪の欠片、黒い髪のひと房、それから髪留め。

 髪なんか切りたくないよ。

 ほら、すぐ終わるから、ね?

 こんなの短すぎる!

 また、伸びるわよ。それに、あなたの目がよく見え る。

 うん、そうだね。たしかにそうかも。

引受人は自分の感情に身をまかせます。それは、十二年間続く深い悲しみ。

お気の毒ですが、あなたの娘さんは――

 ――車が速すぎたんだ――

 ――酩酊――

 ――自転車に乗っていて、真っ暗だったはずだ――

その時間のほとんどは、かろうじて記憶の断片として残っているだけでした。心の痛み、痺れ、名前も覚えていない人との口論。

 ――そもそもどうして外に出したりしたんだ――

 ――わたしのせいだって言いたいわけ―

ただ二つの記憶だけが、くっきりと心に突きささっています。

一つ目:

歩道を歩いているときに、熱い涙が頬をつたいます。どこを歩いているのかはわかりませんが、ただ歩いていることだけがわかっています。あまりにも長く歩いているので、足には水ぶくれができています。でも全く痛くないのです。全く。一羽のカラスが足元に降りてきて、歩道をつつきます。それから、黒く明るい目で彼女を見上げました。

 ――何を見てるの? あの子を連れ戻せるとでも? わたしの痛みを取り除けないのなら、ホラ、シッシッ、行って!

カラスは、彼女の惨めさを学ぼうとでもするかのようにまた首をかしげ、それから飛び立ちます。

 ――ばかな鳥―― とつぶやきます。

二つ目:

墓地に一冊の本を持っていきます(今となってはその本の題名が何だったのかも覚えていません)。おやすみの前にいっしょに本を読むのが、毎晩の習慣になっていました。彼女のなかには、もう一度読み聞かせをしたいという強い思いが渦巻いています。そして、あの子がたくさんの汚いものの下に横たえられるなんて、嫌で嫌でたまらないと思っています。芋虫やムカデがあの子の愛らしさを吸い取ってしまうだなんて……。

彼女は立ち止まります。

墓石が、何百というカラスたちによって覆われています。

カラスたちは突っつき、ひっかいているのです。羽と爪の混沌。そう、掘っているのです。カラスたちが地面を掘ることができるなんて、思ってもみませんでした。カラスたちは棺のところまで掘りおわって、それをバラバラに引き裂き、連れて行ってしまおうとしています……。

彼女の娘を連れ去ろうと……。

彼女は叫び、カラスたちの中に飛びこみます。腕をバタバタと振りまわし、カラスたちがつかんでいるものをできるだけ取り戻そうとします。なんて、なんて非道なことをしているの……。

結局、ほんのわずかな欠片しか救いだすことができませんでした。

その恐怖が心に押しよせることによって、彼女は久しぶりに自分が考えることができていると気づきます。感じる痛みは消えてはいませんが、やわらいではいます。少なくなってはいます。

引受人は、十二年前にすべてを捨てているのです。自分の名前、パートナー、日々の暮らし。そのすべてを捨て、自身の両の手で建てた家のなかに座っているのです。欠片に目を向け、娘の遺したものすべてを見て、そして涙をこぼしました。

その後で涙が乾くと、欠片を拾い集めて、袋のなかに戻しました。

苦労するのは……

翌朝、引受人アンダーテイカーはノックの音で目を覚ましました。赤翡翠の女性が戸口に立っています。スカーフはもう頭にはありませんでしたが、今度は腕のところで何かを包んでいます。そして、それを差し出しました。引受人はその臭いにのけぞらないようにしました。「お願いです」とその女性は言います。「あの人が気づく前に」

それで、引受人は子どもを引き受けました。ほかの子どもたちと違って、この子は防腐処理がされていなかったので、いつもの儀礼をおこなうのに特別なマスクと手袋をつけなくてはなりませんでした。引受人は、女性の赤いスカーフをつかって男の子の身体を包みました。赤翡翠の女性はそのそばをうろついて、可能ならば手を貸し、そうでないときは玄関のドアに目をやったりしていました。引受人は、彼女に棺を選んでもらうことにしました。女性は、豊かなマホガニーの色合いをした棺を選びました。

すべての準備がととのうと、二人は棺を玄武岩の安置台のところに運び出しました。カラスたちは木々の上に集まっていて、その明るい眼差しが地上に注がれています。女性は落ち着かない様子でカラスたちを見ていました。彼女の気持ちを紛らわせるため、引受人は男の子のための祈りの言葉を唱えさせます。女性は手のひらを棺のうえに押しつけ、半分は声に出して歌い、半分は鼻歌で祈ります。スカーフをつけていない彼女の髪は短く、きつく結んだ黒髪に灰色のものが混じっています。しばらく経ってから、彼女は一枚のコインを取り出しました。薔薇色に色あせた銅のコインです。それを男の子を包んだ束の上に置き、それから一歩うしろに下がりました。

「これでいい」と彼女は息をつきます。「あの子はもう大丈夫」

引受人がその言葉に反応しようとしたとき、何かぼやけた影が目の前を通り過ぎました。――編み込みの女性です。二人が動くよりも素早く男の子を抱え上げます。彼女は二人を睨みつけてから、木々に向かって走り出し、子どもの身体を腕に抱えて逃げました。

「だめ!」引受人が叫びます。

しかし、カラスたちはそのときにはもう黒い雲のようなひと塊になっていて、空中に激しい鳴き声を轟かせ、逃げる女性を取り囲みます。女性は悲鳴を上げて屈み、自

分の身体をかばいました。彼女のパートナーは中に割っ て入り、カラスたちを止めてと叫びます。しかしカラスたちは邪魔を許さず、くちばしと爪でつつき、引き裂きました。カラスたちは思いやりがあるわけではありませんが、かといって残酷というわけでもありませんでした。ただ、後には何も残さずに去っていくだけ。

でも、カラスたちの気をそらすことなら簡単にできます。
引受人は首のところにつけていたシルクの袋を引っ張ります。注意を引くためにコッコッコッと喉で音を出し、袋の中身を玄武岩の上にまき散らしました。「こっち! そっちは放っておいて!」

カラスたちは、長い間否定されていた何かを感じとり、二人を罰するのを止めました。祭壇の上に降り立ち、それから、雲のように舞い上がった羽のなかで西へ向かって飛び立ち、いつも子どもたちを連れ去る場所へ遺物を持っていきました。引受人はカラスたちが行くのを眺め、青空の眩しさに手をかざしました。

それから深く息を吸って、あざができ、すすり泣いている編み込みの女性の方に向き直ります。彼女はまだ子どもの死体をしっかりと胸に抱えていて、放そうとしませんでした。

お休みの日に……

引受人アンダーテイカーはその夜、自分の寝室を赤翡翠の女性に貸してあげました。最初は首を横に振って断ったのですが、最後はパートナーのそばに残ることを選んだのです。翌朝、二人はあのささやかな高台の近くに子どもを埋めました。カラスたちは押し黙って、それを眺めていました。その後で、赤翡翠の女性は裏手の玄関ポーチで引受人に合流しました。編み込みコーンロウの女性は仮拵えの墓のそばに座って、木々の間からこちらを見ているカラスたちを睨みつけていました。

「あの人のこんな姿、見てられない」と赤翡翠の女性は言います。「どうしたらあの人を助けられるでしょうか?」

「どうして助けられると?」

「あの人の痛みを取り除いてあげたいんです。ただそれ だけで。もうこれ以上傷つけたりしたくないんです」

「悲しみはそういうものじゃありません」引受人はそう言って立ち止まりました。

玄武岩の安置台に娘のかけらを放り投げた瞬間は、何も考えていませんでした。でも、今となっては、かけらはそれだけのものでしかなかったのです。単なるかけらで、娘ではない――。

カラスが玄関ポーチのところに降りてきて、引受人の靴をつつきはじめました。

「悲しみというのは石なんです」と引受人は女性に言います。「重たくのしかかってきて、その重さが自分の一部になってしまうまで、深く埋め込まれつづけます。ある朝目が覚めたときに、その石が自分の一部とともに成長したことに気づくんです。悲しみが、自分のなかで当たり前の風景の一つになったことに。でも、それには時間が要るの」

「どれくらいかかるんですか?」

「そうなるのに必要なだけ」引受人は女性を見て「でも、聞くべきなのは、その時間をあの人と一緒にずっと歩き続けるか、じゃないかしら」

赤翡翠の女性はパートナーを見つめています。引受人にはもうその答えがわかっていました。

引受人は女性を家に連れて行き、自分の作業場を見せてやりました。棺に衣装、掃除に使う道具や、おもちゃにぬいぐるみを見せてあげます。

それから、カラスたちのところに連れて行きました。カラスたちは各々鳴き声をあげていましたが、襲ってこようとはしません。

「あの人がお墓を見守っているかぎりは、カラスたちもあなたを襲おうとはしないでしょう。でも、それは今だけの話。あなたは息子をカラスたちに託したんだから、カラスたちはあなたの息子を何が何でも奪おうとするはずです。あなたはそのときに備えないといけない」

引受人は小さなシルクの袋を手渡しました。自分のものと似た、シルクの袋。女性はじっと引受人を見つめて 「これは――」と言いかけます。

「自分の悲しみを克服するのにいちばんいい方法はなんでしょうか」女性の手のひらの上に手を重ね、引受人は優しく言いました。「じっとして。自分の考えを処理するんです。準備ができたら、子どもを手放して。忘れたりなんかしないから。痛みは癒えないと思う。でもいつかはそれを受け入れられるはず。カラスたちにもそれがわかるんです」

女性は袋を握りしめて、小さくうなずきました。それから編み込みの女性のところへ行き、引受人が長年のあ

いだとってきた姿勢になりました。引受人には二人がど れくらいの間ここに留まるのかわかりません。数週間なのか、数か月なのか、あるいは数年なのか……。 でも、そんなのは問題じゃありません。カラスたちはいつだって別の子どもを見つけるのですから。

引受人は部屋に入り、わずかばかりの自分の荷物をまとめました。その荷物を探って、とうとう自分の古い名前が書かれた紙片を見つけます。そうしてから、もう自分のものではなくなった家の扉を閉め、道を歩きはじめました。

二羽のカラスが彼女の上を旋回しながら飛び、足元に一枚のコインを落としました。彼女はそのコインをまたぎ、前へと歩き続けます。


※マザー・グースの翻訳については谷川俊太郎訳を使用した。

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カテゴリー: 翻訳

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